2024-01-02 火  

2日目 1/2 晴夜になって雨
朝、<省略>の出してくれたパンとコーヒー
そして<省略>のカステラを味わう。
途中で<省略>も合流。10時すぎに
すぐ集会所へ。集会所につくと水がないとの事。
タンクや水を供出。鉄鍋も。その後は<省略>とベニア板
寸同、ストーヴ やかん10lタンク
をとってくる。ボケーと突っ立ってた<省略>
<省略>がどなりつけてた。
見た所、つっ立って何もしてない男が目立つ。
自分は雪を鍋に入れたりしてストーヴにのせる。
昼はそんなかんじでゆで玉子1つ頂く。
自分は昼飯食べに戻る。14:00
食べ終 テントでギョーザを焼いて昨日炊いた残り飯と食べた。15:00
それから すこし片付けて17:00頃戻ると
もう晩飯は終えてねるだけと言っていた。
自分も皆と一緒に寝たが毛布が要らないくらい温った。
夜中に毛布の配給届く ただ一晩中ラジオやら人の話し声が
して AM2:00頃<省略>みかんでむせる。2:21 地震あり
AM4:00頃みな静まる。

川など泥水で増水。保水機能がスポンジ振ったみたいに
中から水分が出たか?


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最後の川など〜の一文は色の違うペンで後日1/4頃からペンの色が
変わったのでその時に追加記入した模様。
電気や通信だけではなく水道も使えなくなってたため、水問題発生。
川などは増水したものの全部茶色く濁った水だったので、
昔に用意してあったカタダイン製の浄水器を使おうとしたが、シリコンチューブか
何か部品が足りなくて使えなかった上に、実際問題大量の水を作るには困難な代物
だったので、急遽鍋で雪を融かして大量の水を作った。薪などは別の人が容易
してくれてた。たださすがに赤ちゃんのミルク用の水はという事で家に
保存してあった10lタンクの水を供出した。5lタンクの方の水は
タンクが横倒しになってて床にぶちまけられてた。
この時点で既に水は貴重品になっていたが、雪はあるし、サバイバルな実践経験を
してみたいという好奇心の方が勝っていた気がする。
水も雪も本当にない渇水の時期だったらそういう決断を出来たか今でもわからない。
この時点でスマホのバッテリー自体は生きてても、通信が遮断されていたので
生存報告を家族に伝える事は10日過ぎまで出来なかったが、
この日の朝の集会の様子がAU回線の人によりネット配信されてたので、
自分を知る人に生存確認出来た模様。数カ月後再会した母親曰く
あんた小間使いのように動いてたとの事。
道路が壊れ、ガソリンの供給すらままならない状況になったので、
集会所まで歩いていったとは思うが、車で薪ストーブや大きな鉄鍋、
ウォータージャグなど運んでいた記憶はあるので、この時点でもう
大ハンマーで簡易的な道普請されてたかもしれないが、記憶が既に曖昧。
なんか板か何かでうまい事やってたような記憶も。
近所のテント組はこの日の朝で解散して各々自分の家に戻っていった。
テント組は比較的穏やかに過ごしていたが、集会所側は組織だった動きは
あまり見られず動く人は動き、動かない人はお喋りしている状況だった。
自分はあれが必要だ、これが必要だと聴いてはそれを取りに行くって状態だった。
集会所組はお正月だったという事もあり、前の晩はおせち料理とか普通に
食べていたと聞いた。
ちなみに鍋で米を炊けるという人はいないようで、逆にちょっとびっくりした
記憶がある。当時の自分は玄米を鍋で炊いてた。
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